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芥川龍之介『蜘蛛の糸』感想・解釈~文学作品にツッコミを入れながら読んでみた~

 

 

 

こんにちは!

 

みなさん、芥川龍之介『蜘蛛の糸』を読んだことはありますか?

 

学校の授業で勉強したという方も多いかと思います。

 

ページ数が5ページと短く、内容も分かりやすいので、芥川龍之介入門にはもってこいの作品となっています。

 

 

 あらすじ

地獄にて、ある男の目の前に一筋の蜘蛛の糸が降りてきた。

 

男はその糸に掴まり、他に掴まろうとした人たちを蹴り飛ばした。

 

 すると、糸は消えてしまい、その男は再び地獄へ落ちていった。

 

内容(+ツッコミ)

簡単な内容(+ツッコミ)を書いていきます。

 

カッコの中は、私のツッコミですので、気にせずに読んでください。笑

 

そして、文学の説明はカタくなりがちなので、ここでは分かりやすいようにあえて砕けた表現をしていることはご了承ください。

 

Part 1

ある日、お釈迦さまが極楽の蓮池のふちをブラブラ歩いていました。

 

(よっぽど暇なんですね。お釈迦さまなんだから、もっとみんなのためになることでもしたらいいのに)

 

 

やがて、お釈迦さまはその池のふちに佇んで、地獄の様子を見てみました。

 

(下ばかり見ていると、成長できないぞ! 芥川龍之介の師匠である夏目漱石が「向上心のないやつはバカだと言っていたのを忘れたのかい?)

 

 

すると、地獄の底に犍陀多(以下、「カンダタ」という。)という男が一人、他の罪人と一緒にウジャウジャしている姿が目に止まりました。

 

(恵まれた環境にいる人が、暇つぶしに悲惨な環境にいる人を見物するのは、悪趣味ではないか)

 

 

カンダタは、人を殺したり、家に火をつけたり、色々な悪いことをしました。

 

(この男、普通に最低。。。地獄に落ちて当然です。少しは反省しなさい。)

 

 

しかし、カンダタは、たった一つ良いことをしたということをお釈迦さまは覚えていました。

 

(生きているうちに、一つしかいいことしないって、どんな生活しとんじゃ)

 

 

その良いこととは、カンダタが林の中を歩いていると、小さな蜘蛛(クモ)を見つけ、一時は踏み殺そうとしましたが、

 

「いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない。その命をむやみにとるということは、いくら何でも可哀そうだ」

 

と思い返して、その蜘蛛を殺さずに助けてあげたことです。

 

(え?生きているうちにした良いことってそれだけ??それほど良いことでもないし、しかも、一回殺そうとしてるし。この男本当に救いようがない、、、クモより大きい人間は殺してるし、思考がメチャクチャすぎる!)

 

 

このカンダタのエピソードを思い出したお釈迦さまは、出来るなら、この男を地獄から救い出してやろうと考えました。

 

(よくこのエピソードで、助けようと思いましたね。見つけたクモを殺さなかったって、なんて消極的な良いことなんですか!今までは、目に入った生き物を全て殺し、目に入った家を全て燃やしてきたってことですか! 逆に凄すぎる。その男に会って殺されなかった唯一の生物がその一匹のクモですか。そのクモだけ殺さなかったのは、逆に魔が差したからじゃないですか!魔が差したら、普通は悪いことをしてしまうけど、この男の場合、日常的に悪いことをしているから、魔が差すとつい良いことをしてしまったんじゃないですかね。しかも、そこまで良いことでもないですけどね、、、)

 

 

 たまたま、お釈迦さまの側で、極楽の蜘蛛が蓮の葉の上に銀色の糸をかけているのを見つけました。

 

 「ラッキー、良いもの見つけちゃったー♪ そして、面白いこと考えちゃったー♪」

 

と、お釈迦さまはその糸をとって、地獄の底におろしました。

 

 

(釣りか!川でたまたま棒と糸を見つけた子どもか!これだから恵まれた環境にいるやつは疎まれるんだ。)

 

Part 2

カンダタが、地獄の底の血の池で、死にかかった蛙のようにもがいているところ、

 

天上からするすると自分の上へ垂れてくる銀色の蜘蛛の糸が目に入りました。

 

これを見てカンダタのテンションは上がりました。

 

「この糸をつたって登っていけば、地獄から抜け出せる、いや、極楽まで行けるのではないか」

 

と考えました。

 

(上から降りてきた糸を見て、地獄から抜け出せると考えるのは、ポジティブすぎる!カンダタ、お前そんなだから地獄に落ちるんだよ。

 

 お前のそういうところだよ。

 

 普通、糸が上から垂れてきたら、一体これはなんだと警戒するでしょ。

 

 お釈迦さま、この人全然反省してませんよー。

 自分がした悪いこと忘れていますよー。

もぉ、糸を上に上げちゃって大丈夫ですよー。

 

 この男を助ける必要がないことは、この糸に掴まろうとした時点で明らかですよ。

 私なら、この糸に掴まらなかったら助けます。笑

 

自分は沢山の悪いことをしてきたんだから、地獄から出る資格なんてない。

ちゃんと自分の犯した罪は償わなければならないと、反省していたら救いますww

けど、ちゃんと反省する人ってなかなかいないですよね。

やっぱり、なんとかしてでも助かろうと思うのが人間ですよね。

 

デスノート』の夜神月なら、こっちの魂胆を見抜き、あえて糸には掴まらないかもしれませんが。笑

 

また、『反省されると犯罪者になります』って本があるんですけど、その本によると、反省をさせるとその人は更生するどころか悪化し、最悪の場合、犯罪者になってしまうという内容でした。

 

確かに、自分が悪いことをして、怒られても、「クソッ、頭ごなしに説教しやがって」

と思うだけで、怒られた時って反省しないですよね。

 

実際、なんで自分はあんなことをしてしまったんだと反省するのは、しばらく時間がたって冷静になってからのはずです。

 

つまり、説教って全然役に立たないってことですよね。

反省は、人に言われてするものではないですもんね。

 

以前、タイトルに惹かれてこの本を読みましたが、この本を読むとこのタイトルの意味がすごく理解できました。

 

教師をされている方、子どもがいる方、部下がいる方、後輩がいる方、頭ごなしな説教は百害あって一利なしですので気をつけてくださいね。

 

ちなみに、その本はこちらです↓興味がある方は是非読んでみてください。

 

話が脱線しすぎましたので、元に戻します。笑)

 

 

カンダタは、上から垂れてきた糸を両手でしっかりつかみ、上へ上へとのぼり始めました。

 

(これも一種の向上心かもしれませんね。笑)

 

 

しかし、地獄と極楽の間は何万里とあり、容易にはのぼれず、とうとうカンダタも疲れて、下を見下ろしました。

 

すると、さっきまで自分がいた血の池が遙か遠くに見え、この調子でのぼれば、地獄から抜け出すのもわけがないと考えました。

 

(ホントに単細胞生物だな、、、頭の中、お花畑かよ。そして、そんなカンダタがちょっとうらやましい。笑)

 

 

ふと気が付くと、クモの糸の存在に気づいた何人もの罪人たちが、よじのぼってきていました。

 

そこでカンダタは

 

「自分一人でも切れそうなのに、何人もの人の重さに糸が耐えられるわけがない。もし途中で切れたら、せっかくここまでのぼってきたことが、水の泡となってしまう」

 

と考えました。

 

(糸が上から垂れてくるのを見て、極楽に行けるかもしれないと考えるくらいの超ポジティブ野郎のカンダタが、なんでこの時だけ、糸が切れるかもしれないなんてネガティブなことを考えたんですかね。笑

いつもの調子なら、

 

「この糸結構しっかりしてるし、まぁ切れることはないだろう。 

他のやつは気にせず、とりあえず上までのぼっちゃおー♪

あー、極楽まで行くの楽しみだなー♪ 

きっと、女の子が背中流してくれるんだろうなー

ムフフフフフフ、妄想が止まらん

やべ、こんな時にムズムズしてきやがった

早く極楽までイッちゃいてーーーーーーー!」

 

って考えると思ったんですけど、そうはならなかったんですね。笑)

 

 

そこで、カンダタは

 

「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸はオレのものだぞ。

 

お前たちは一体誰に訊いて、のぼって来た。降りろ。降りろ」

 

と大きい声で叫びました。

 

(「こら、罪人ども」ってお前もだろww

「お前たちは一体誰に訊いて、のぼって来た。」ってお前こそ誰に訊いてのぼっているんだ!ww

自分のことは棚上げ星人ですね。笑)

 

 

その途端、クモの糸が、カンダタの掴まっているところからぷつりと音を立てて切れました。

 

カンダタはコマのようにクルクル回りながら、血の池の落ちていきました。

 

(小説で銃が出てきたら必ず発砲されるように、糸が出てきたら切れるものなんですね。笑

 

ここで、糸が切れずに、カンダタ一人だけが助かったというオチでも面白かったかもしれませんね。

 

悪いことをしたとしても、エゴイズムの塊のような人でも、良いことは起こるという方が文学的な気もしますが、教科書には載せられませんね。笑

 

「自分勝手な人は救われません。なので、みなさんは、人のためになるような行動をしましょう!」の方が教育的ですもんね。笑

 

けど、大人になったら、良いことをしても、良いことは起こらないし、悪いことをしても悪いことは起こらないことがあると分かるので、子どものうちに教えてもいいと思うんですけどね。笑

 

子どもの中には、「へー、悪いことをしてもいいんだ」と思う子がいて、悪いことをしかねませんが。

 

けど、みんながそうなるとは限らないですし、悪いことをしたら親や先生から怒られるので、このラインまではOKだけどこれ以上はアウト、というようにOKとアウトのボーダーラインが分かるようになるなど、学べることもあると思うんですけどね。

 

子どもの時に、悪いことをしてこなかったばっかりに、大人になってからとんでもないことをしでかす可能性もありますから、一概に「悪いことをするのは良くない」とは言えないですよね。

 

Part 3

お釈迦さまは、この一部始終をみていましたが、カンダタが池の底に落ちてしまうと、悲しそうな顔をして、またブラブラと歩き始めました。

 

(人より優位にある人が、自分より下の立場にいる人に対して、試練を課すって酷じゃないですかね。笑

 

お釈迦さまは、本当に助ける気があったんですかね?

 

暇つぶしがてら、ちょっと試してみよう、という残酷な遊び心ですよね。笑

 

本当に助けようと思ったなら、糸を切る必要なんてないはずです。

 

一番悪いのは、このお釈迦さまなんじゃないですかね?笑

 

内容紹介(ツッコミ)は以上です。笑

 

 

感想・疑問

 続いて、『蜘蛛の糸』を読んだ感想疑問を書いていきたいと思います。

 

内容(ツッコミ)のところで結構書いてしまったので、いくつかの項目に分けて簡潔にまとめていきたいと思います。

 

 罪人の中でカンダタが選ばれたのはなぜ?

まず、ふと思ったのですが、なんで何人もいる罪人の中から、お釈迦さまはカンダタにだけチャンスを与えたんですかね。

 

このことについて、私が思いついた仮説を紹介していきたいと思います。

 

【仮説① お釈迦さまの気まぐれ】

蓮の池のふちをブラブラしていたというから、カンダタを選んだのは、お釈迦さまの気まぐれで、たまたま説。

 

話をつくる上で、便宜的にカンダタを選んだのかもしれません。

 

【仮説② 良いことをしたのがカンダタだけだった】

罪人の中で、良いことをしたのがカンダタだけで、他の罪人は一つも良いことをしなかった。

 

こんなことありますかね?笑

 

生きていれば、良いことの1つや2つはしますよね。笑

 

カンダタの「一時は殺そうと思ったクモを殺さなかったこと」が、この罪人たちの中で一番の良いことだったんですかね?

 

これは、ちょっと考えづらいですね。笑

 

他にも何か思いついた方がいれば教えてください。

 

 

クモの糸は何人掴まっても切れなかった!?

 カンダタは他の罪人が糸をつたってのぼってくるのを見て、切れるのではないかと心配しましたが、本当はどうだったんでしょうか?

 

カンダタがエゴを剥き出しにすることで、お釈迦さまが意図的に糸を切ったので、この糸は何人掴まっても切れない特別な糸だと考えられますね。

 

もしカンダタがエゴを出さず、他の罪人がのぼってきても文句を言わなかったのにも関わらず、糸が重さに耐えきれず切れてしまって、誰も極楽に行くことができなかった、という落ちでも面白いかもしれないですよね。笑

 

運命は変わらない」とか「不条理」とか「良いことをしても良いことが起こるとは限らない」とか、また違ったテーマになりますね♬

 

 

お釈迦さまはカンダタが助からないことを知っていた!?

これは、私の勝手な考えですが、お釈迦さまは、クモの糸を垂らす前から結末は分かっていたのではないかと思いました。

 

Part3で、地獄に落ちていくカンダタを見て「お釈迦さまは悲しそうな顔をした」と書いてありますが、

 

これは「やっぱりな」ということだったのかなと思いました。

 

カンダタは自分だけが助かればいいと考えることは、お釈迦さまには容易に想像できたと思います。

 

しかも、カンダタは罪人ですし、ずっと地獄という非常に厳しい環境にいたのだから、そんなところで「優しい心を持て」というのはムリがありますよね。

 

 

エゴイズムの塊のカンダタを助けた方が文学的では!?

これは、内容紹介でも書きましたが、あえてエゴイズムの塊であるカンダタを助けるという方が、教育的ではなくなりますが文学的で面白いのではないかと思いました。

 

悪いことをしても、必ずしも悪いことが起こるとは限らない 」の方が、より真理に近いような気がするので個人的には好きです。

 

先生や親は嫌がるかもしれませんが。笑

 

 

本当の悪人はお釈迦さま!?

 『蜘蛛の糸』を読んで、お釈迦さまが一番悪いのではないかと思いました。笑

 

「本当に悟りを開いたのですか?」と訊いてみたいです。笑

 

恵まれた環境にいる人が、自分より立場の低いものに対して、気まぐれで叶う望みの低いチャンスを与え、「やっぱりダメだった」と悲しい顔をして、またブラブラするのは、悟りを開いた人の行動なのかと疑ってしまいます。

 

自分は全く損をすることがないゲームですよ。

 

カンダタや他の罪人は、やっと地獄から出られると期待し、そして、文字通り一気にドン底まで落とされる。

 

地獄にいる人たち可哀そうじゃないですか?笑

 

自分が餓死しそうなくらいの飢餓状態で、目の前にオニギリがあれば、他の人に見つからないように食べるのが普通ですよね。

 

そんな、極限状態で、人に分けてあげようなんて思う人なんてなかなかいないですよね。

 

実際、毎日食べ物を腐らせている日本人も、自分より貧しい人に食べ物をあげている人なんてほとんどいないですし。

 

なので、エゴイズムと呼ばれるカンダタの行動は、少しもおかしくないのではないかと思います。

 

比較的裕福で恵まれた生活をしている人からみたら、自分一人だけ助かろうなんて最低なやつだ、と思うかもしれませんが、

 

人を助けることができるのは、自分にそれなりの余裕がある時ですよね。

 

明日食べるものに困っている人がボランティアなんてできないはずです。

 

助ける方がしっかりしていないと、共倒れになり、かえって被害が拡大してしまいかねません。

 

『蜘蛛の糸』でお釈迦さまがカンダタに課した「極限状態でもエゴを出してはいけない」というミッションは厳しかったのではないかと思います。

 

お釈迦さまがカンダタと同じ立場にいれば、どうするのか見ものですよね。笑

 

カンダタ同様に糸が切れてしまうんではないですかね。笑

 

以前に、村上春樹の『約束された場所で』の記事で、村上春樹と河合隼雄の対談の中で

 

悪い人よりも、良い人の方が悪い

 

という言葉が出てきましたが、『蜘蛛の糸』を読んで、すごく納得しました。

 

みなさん、良い人には気をつけてくださいね。笑

 

『約束された場所で』の詳細を知りたい方はこちら↓

www.ke1q84.info

 

 

『蜘蛛の糸』と『カラマーゾフの兄弟』の関係

みなさんはロシアの文豪ドストエフスキー知っていますか?

 

罪と罰』で知っている方もいるかと思いますが、ドストエフスキーの最高傑作『カラマーゾフの兄弟』を読んだことはありますか?

 

出版社によっても違いますが、文庫本で3~4冊の大長編です。

 

私は、大学生の頃、実験をほんの少しさぼって一日10時間以上を1週間かけてやっと読み終わりました。

 

『カラマーゾフの兄弟』のテーマを一言で表すのはムリなくらい、色々な要素が複雑に絡み合っている作品でした。

 

これだけ長い本なので、読んだあとの達成感はなかなかのものでした。笑

 

フルマラソンを走ったあとのような感動を味わえました!(※フルマラソン走ったことないです)

 

なぜ、『蜘蛛の糸』の作品紹介の中で、『カラマーゾフの兄弟』が出てきたかと言うと、

 

なんと、『カラマーゾフの兄弟』のストーリーの中で、『蜘蛛の糸』に酷似した『一本の葱』という話が出てくるんです。

 

『一本の葱』は、『カラマーゾフの兄弟』の第3部で、グルーシェニカという女性が、「たんなるおとぎ話だけど」と言って語っていました。

 

『一本の葱』あらすじ

昔あるところに、とにかく意地の悪い女がいて、ある日ぽっくりと死んでしまいました。

 

死ぬまで良いことをしなかったので、悪魔に火の海に投げ込まれました。

 

意地の悪い女の守護天使は可哀そうに思い、神様に報告できるような良い行いを探しました。

 

そこで、女が一本の葱を野菜畑から抜いて乞食にやったことがあることを思い出して、神様に伝えました。

 

神様は「ではそのネギを拾ってきて、女に掴まらせて、ひっぱりなさい」と言いました。

 

守護天使は神様の言うとおりに、火の湖にいる女にネギを差し出しました。

 

女はネギに掴まり、岸に上がれる直前まで来るが、他の罪人たちが女につかまり、一緒に引きあげてもらおうとしました。

 

女は「これは私のネギだ」と言って、他の罪人を蹴落とし始める。

 

すると、ネギはぷつりと切れ、女はまた火の湖に落ち、今日まで燃え続けている、

 

という話です。

 

『蜘蛛の糸』にすごく似ていますよね。

 

よく言えば換骨奪胎ですが、悪く言えばパクリですよね。

 

なぜ、芥川龍之介は、わざわざドストエフスキーの『一本の葱』に似た話を書いたのでしょうか?

 

ネタがなかったのか、たまたま似てしまったのか、何か深い理由があったのか、、、芥川のみぞ知る、ですね。

 

 

もし興味がある方は、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』も併せて読んでみてください♪