『三つの短い話』の紹介(文学界7月号に掲載)
こんにちは!
今回は、村上春樹の新作『三つの短い話』を紹介します。
『三つの短い話』は、「文學界2018年7月号」に掲載されました。
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2018/06/07
- メディア: 雑誌
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読んで字のごとく3つの短編小説で構成されています。
そのタイトルは、次のとおりです。
- 『石のまくらに』
- 『クリーム』
- 『チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ』
タイトルだけでは、ストーリーが全く予想できませんね。笑
みなさんは、すでに読みましたか?
村上春樹の新作は『騎士団長殺し』以来なので、ファンとしては久々に村上春樹の作品が読めて嬉しいですね。
『三つの短い話』が「文学界」に掲載されたことを知ったときは、「早く読みたい!」と思っていました。
また、それと同時に「単行本で読みたい」という気持ちもあり、すぐには買いませんでした!
しかし、しばらくすると「やっぱりすぐ読みたい!」と思い、結局買ってしまいました。笑
読んだ感想は、率直にすごく面白かったですし、村上春樹の小説が読めて、改めて幸せだなと感じました。
村上春樹は若くはないので、新作をあと何作読めるかわからないということもあって、かみしめるように読みました。
やっぱり、村上春樹はいいですね!
というわけで、今回は、『三つの短い話』の内容紹介と感想を書いていきたいと思います。
内容に思いっ切り触れますので、ネタバレが嫌な方は、この先読むのを控えてください!
よろしくお願いしますm(_ _)m
石のまくらに
まずは、『三つの短い話』の1つ目の作品の『石のまくらに』について紹介します!
あらすじ
名前や顔も思い出せない1人の女性の話。
「僕」は大学の2年生で、彼女は20代半ばだった。
彼女とはバイト先が一緒で、成り行きで一夜を共にすることになった。
彼女はいっちゃう時、他の男の名前を呼ぶクセがあった。
ベッドの中で、彼女が短歌を作っていることを知り、後日、自作の歌集を送ってもらう約束をした。
彼女とは、今後2度と会う予定がないため、歌集が送られてくることを僕はほとんど期待していなかった。
しかし、予想に反して、1週間後に歌集が届いた。
その歌集のタイトルは『石のまくらに』だった。
彼女の作った短歌のいくつかは、僕の心の深くに残っていた。
その彼女の歌集のページを開くと、その夜の彼女の身体を、僕の耳元で別の男の名前を呼び続けているところを思い出すことができた。
彼女の変色した歌集をときおり抽斗からだして読むことにどれだけの価値があるかわからない。
しかし、他の言葉や思いは消えてしまったが、その歌集だけはあとに残った。
内容紹介
『石のまくらに』の中で私が気にいったところを紹介したいと思います(^^)/
恋は、医療保険のきかない精神病
「人を好きになるというのはね、医療保険のきかない精神の病にかかったみたいなものなの」と彼女は言った。-文学界7月号p.14より
恋は病とは言いますが、「医療保険のきかない精神病」という定義は面白いですね。笑
恋は保険の適用外ですもんね。笑
そのうち、「恋愛保険」なんてものができるかもしれませんね。笑
短歌を作ることは、バスケットボールと違って1人でできる
「私は短歌を書いているの」と彼女はほとんど唐突に言った。
「短歌?」
「短歌って知っているでしょ?」
「もちろん」。
(中略)
「何かそういうサークルに入っているの?」
「ううん、そんなのじゃなくて」と彼女は言った。そして肩を小さくすぼめた。「だって短歌なんて一人でつくれるもの。そうでしょ?バスケットボールをするわけじゃないんだから」
「どんな短歌?」-文学界7月号p.16より
wwwww
ここのやりとりを読んだ時、ふいに笑ってしまいました。笑
彼女が短歌をつくっているということを知った「僕」が、サークルに入っているかを聞いたら、「バスケットをするわけじゃないんだから」ってwww
確かに一人でつくれるけども。笑
でも、文芸サークルとかに入っているか聞いただけなのに
そんなに非常識な質問でもないのに、そんな言い方しなくたっていいのに。
と噴き出してしまいました。笑
村上春樹独特のユーモア
そして、先ほどの会話の続きです
「聞きたい?」僕は肯いた。
「ほんとに?ただ話を合わせているだけじゃなくて?」
「ほんとに」と僕は言った。
それは嘘ではなかった。つい数時間前に、僕の腕の中であえぎ、大きな声で別の名前の男の名前を呼んでいた女性が、いったいどんな短歌を詠むのか、けっこう真剣に知りたかったのだ。-文学界7月号p.16~17より
www
「つい数時間前に、僕の腕の中であえぎ、大きな声で別の名前の男の名前を呼んでいた女性が、いったいどんな短歌を詠むのか、けっこう真剣に知りたかったのだ。」ってwww
これ、絶対ふざけてますよwww
村上春樹の小説って、ものすごく完成度の高く緻密な部分と、ものすごくふざけている部分があるんですけど、これは間違いなく後者です。笑
こうやって、真面目にふざけることが多いんですよww
そして、よくレビューとかで叩かれているのは、このようなふざけている部分です。笑
ふざけている部分の方がわかりやすくて叩きやすいんですよねww
これは、村上春樹独特のユーモアなので、許してやってください。笑
解釈
『石のまくらに』を読んで感じた、私なりの解釈を紹介したいと思います。
小説の解釈は読者の数だけ存在すると思うので、あくまでも参考として読んでいただけたら幸いです(*^-^*)
『石のまくらに』の最後は、彼女の短歌で締められていますが、その前に
(中略)その変色した歌集をときおり抽斗から出して読み返したりすることに、いったいどれほどの意味や価値があるものか、僕にもそれはわからない。正直言って、本当によくわからないのだ。
しかしなにはともあれ、それはあとに残った。他の言葉や思いはみんな塵となって消えてしまった。-文学界7月号p.22~23より
村上春樹が『石のまくらに』で言いたかったことは、
「しかしなにはともあれ、それはあとに残った。他の言葉や思いはみんな塵となって消えてしまった。」
に集約されているのではないかと思いました。
なんでかよくわからないけど、なぜか記憶に残っていることってありますよね。
記憶に残っているということは、何か「意味」があるはずだと考えがちですが、全然「意味」なんかないということもありますよね。
現代では、あらゆることに「意味」を求めがちで、「意味」のないものや役に立たないものに対してはキビシイように感じます(;^ω^)
この小説では、記憶に残っている「意味」よりも記憶に残っているという「事実」の方が大切であると言いたいのかなと思いました。
クリーム
続いて、『三つの短い話』の2つ目の作品の『クリーム』について紹介します!
あらすじ
ぼくが18歳の時に経験した奇妙な出来事について友人に語っている場面から始まる。
ぼくが、浪人生活を送っていた10月の初めに、ある女の子からピアノ演奏会への招待状を受け取った。
ぼくが16歳のときまで彼女と同じ先生にピアノを習っていたが、彼女とはそれ以来顔を合わせていなかった。
彼女は、ぼくと連弾をしている時、ぼくが間違えると彼女は嫌な顔をするような子で、特別仲が良いわけではなかったため、招待状が届いたことは意外なできごとだった。
ぼくは、暇だったのと、彼女がぼくに招待状を送ったわけを知りたかったというのもあって、出席の返事のハガキを出した。
会場は神戸の山の上にあり、会場に向かっている途中で、人があまりにも少ないことに気づき、嫌な予感がしてきた。
目的の建物に着くと、駐車場には車が一台も駐まっておらず、大きな鉄扉には鉄の鎖が巻かれており、固く閉ざされていた。
10分ばかり待ってみることにしたが、誰も来ることはなかったため、諦めて坂を少し下ったところにある公園に入った。
その公園ある老人に会い、唐突に
「中心が無数にあって、外周を持たない円を思い浮かべるか」と尋ねられた。
そのような円を想像するのは、ぼくにはむずかしかった。
老人は
「時間をかけてむずかしいことを成し遂げたとき、それがクリームの中のクリームに、とびっきり最高のクリームになる」
と言った。
そのクリームの例えは、フランス語の『クレム・ド・クレム』という表現からきていることを知った。
ぼくは、老人が問いかけた円について目を閉じて必死に考え続けたが、結局わからなかった。
諦めて目を開けると老人はいなくなっていた。
内容紹介
『クリーム』 の中で私が気にいったところを紹介したいと思います(^^)/
価値のあることで簡単に手に入るものなんてない
公園で出会った老人のセリフ
「この世の中、なにかしら価値のあることで、手に入れるのがむずかしうないことなんかひとつもあるかい」ー文学界7月号p.35より
価値のあることで簡単に手に入るものなんてない
という事ですね(*^-^*)
最近は、知りたいことがあれば
ネットで簡単に情報を得ることができますね。
ネットにはネットのよさがありますが、お笑い芸人のビートたけしなんかも
「すぐに使える情報はすぐに使えなくなる」
と言っています。
本でしか得ることができない深い情報に価値があるということですね。
ただ目を閉じてやり過ごしていくしかない出来事
年下の友人との会話中のぼくのセリフ
「ぼくらの人生にはときとしてそういうことが持ち上がる。
説明もつかないし筋も通らない、しかし心だけは深くかき乱されるような出来事が。
そんなときは何も思わず何も考えず、ただ目を閉じてやり過ごしていくしかないんじゃないかな。」ー文学界7月号p.38より
人生では、 全く論理的でなく、理不尽で説明のつかないことが、時々起こりますよね。
非常に困ったことに、、、
そんな時は、あれこれ考えたりせずにただやり過ごすのが一番であると村上春樹は言っています。
なんでこんなことが起こったのか、なんでこんな目に合わなくてはいけないのか、えても決して答えが出ずただモヤモヤし続けることになりますよね。
考えても仕方のないことは、深く考える必要はない
という村上春樹なりの生き方ですね。
解釈
『クリーム』を読んで感じた、私なりの解釈を紹介したいと思います。
クリームとは
まず、「クリーム」についてですが、
「クリーム」はフランス語の『クレム・ド・クレム』が由来で、
日本語に訳すと『クリームの中のクリーム』となります。
意味は、『クリームの中の最高のクリーム』で『人生の大事なエッセンス』であると本文で説明されています。
哲学者のプラトンのいう『イデアのイデア』に近いものを感じますね。
村上春樹の最新の長編小説『騎士団長殺し』でもイデアが登場していたので、プラントの思想に影響を受けている部分があるのかなと思います。
中心が無数にあり、外周を持たない円とは
「中心が無数にあり、外周を持たない円」とは、具体的な図形としての円ではなく、人の意識の中にのみ存在する円で、この世界の在り方についての理想や信仰を見出したりするときに、受け入れることになる
と本文で説明されています。
その円は、実際の物理世界では存在せず、精神世界でしか存在しないということですね。
プラトンの影響!?
「クリーム」でもそうですが、今回の「中心が無数にあり、外周を持たない円」もプラトンの『イデアの世界』を彷彿させますね。
この小説に限ったことではありませんが、村上春樹の小説では「こちらの世界」と「あちらの世界」がよく登場します。
今回は、「現実の世界」と「理想の世界」の話であったと考えられます。
人の頭の中にしか存在しない、理想的な美しい世界を見出すときに、その円はあたり前のこととして受け入れられるようになるんですね。
わかったようでまだしっくりきていない感が否めませんが、『クリーム』の解釈は以上です。
チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ
最後に、『三つの短い話』の3つ目の作品の『チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ』について紹介します!
あらすじ
僕が大学生の時に、「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」という存在しないレコードについての批評が雑誌に掲載された。
【後日談1】
それから15年後、仕事でニューヨーク市内に滞在している時に、ホテルの近くのレコード会社に入り、
存在するはずのない「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」というタイトルのレコードを見つける。
そのレコードを買うか迷ったが、誰かのイタズラであると思い、そんなものに35ドルも払いたくなく、結局そのレコードを買わずに店を出た。
しかし、その後、そのレコードを買っておけばよかったと後悔し、その店に向かったが、閉店していた。
その日は諦めて、次の日に再び訪れたが、例のレコードは見当たらず、店員に尋ねても「そんなレコードはどこにも存在しない」と言われた。
【後日談2】
ある夜に、僕はチャーリー・パーカーが、雑誌で書いた架空のアルバムに収録されたうちの1曲を僕のために演奏してくれる夢を見た。
その夢の中でチャーリー・パーカーは、僕が架空の文章を書くことでボサノヴァ音楽を演奏することができたことを、今一度の生命を与えてくれたことに対して感謝を述べた。
夢から目覚めた後、チャーリー・パーカーが僕のために演奏してくれた音楽を再現しようと試みたが、上手くいかなかった。
しかし、チャーリー・パーカーが口にした言葉を思い出すことができたため、彼が語った一言を正確にノートに書き留めた。
内容紹介
『チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ』 の中で私が気にいったところを紹介したいと思います。
夢の中でチャーリー・パーカーが演奏するボサノヴァ音楽を聴いている時の僕の内面
その音楽をいったいどのように表現すればいいのだろう。
(中略)
僕に言えるのは、それは魂の深いところにある核心にまで届く音楽だったということだ。
それを聴く前と聴いたあとでは、自分の身体の仕組みが少しばかり違って感じられるような音楽ーそういう音楽が世界には確かに存在するのだ。
ー文学界7月号p.50より
僕は、チャーリー・パーカーが演奏する音楽を聴いて、聴く前と聴いたあとでは、身体の仕組みが違ったように感じられる体験をしました。
この、何かが変わったというのではなく「自分の身体の仕組みが」と言っているところがまたいいですね。
今回は音楽でしたが、ある体験を通して、自分がそれ以前とは違ったように感じられるというのは、小説でも絵でも仕事でも旅行でも恋愛でも、音楽以外にも、そのような機会は沢山ありますよね。
ある体験を通して、今までの自分とは違う自分になるくらいの衝撃を受けることは、それほど多くはありません。
私の場合は、まさに村上春樹の作品と出会うことで、今までの自分が壊れて、新しい自分が出来上がるという体験をしました。
村上春樹の小説を読んでからは、読む本の系統が変わっただけでなく、世界観や人生観がガラッと変わってしまいました!
もちろん、「良い意味」でですよ。
このような体験はそう頻繁にできることではなく、とれも素晴らしい体験であったと言えます。
短編『チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ』のこの部分を読んで、私の価値観が変わる体験を思い出しました。
解釈
『チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ』を読んで感じた、私なりの解釈を紹介したいと思います。
「信じた方がいい」という直接的な表現について
『チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ』という小説は、現実と夢の2つの世界において、僕が体験した不思議な話が書かれていました。
この小説の中で私が特に印象に残ったのは、一番最後に書かれていた次の部分です。
あなたにはそれが信じられるだろうか?
信じた方がいい。それはなにしろ実際に起きたことなのだから。
ー文学界7月号p.53より
「それ」というのは、チャーリー・パーカーが、夢で僕のために演奏してくれたことです。
村上春樹の小説は、不思議な話が多いですが、「信じた方がいい」と直接的な表現で書かれていることは、ほとんどありません。
なので、私は、この「信じた方がいい。それはなにしろ実際に起きたことなのだから」という部分がすごく印象に残りました。
村上春樹は、以前から実際に起きたことは、夢でも現実でも関係なく、実際に起きたこととして表現していました。
今回は、その思いがストレートな言葉として出てきたのかなと思いました。
夢でも現実でも実際に体験したことには変わりない
この作品では、夢や現実に関係なく、実際に体験したことには変わりないというメッセージを私は受けとりました。
「夢でみたことは、所詮夢の中のことだ」と夢を軽視する人もいますが、私は、夢には人の真相心理が現れるので、夢を自分の精神状態をみるための一つの指標としています。
なので、夢で体験したことがどのような意味があったのかと、気にしてみるのも悪くないですよ。
最後に~村上春樹を読むために『文学界7月号』を買う価値はあります~
文学界7月号に掲載されたこの3つの作品は、いつもの村上春樹らしさといつもと違った村上春樹が現れていて、長さのわりに読み応えがあってすごく満足しました。
初めの方にも書きましたが、単行本での出版を待とうかとも思いましたが、雑誌を買ってよかったです。
村上春樹ファンは、この3つの短編を読むためだけに『文学界7月号』を買って後悔はないですよ!
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